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学びの極意。やり方を習うか、本質を知るか。写真の整理も同じこと。

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カオルPです。今日はちょっと自分の話。
私の写真整理や物事への取り組みの基礎になっている話なので、そのあたりも絡めて書きたいと思います。

カオルPは講師のお仕事もしていますが「やり方」を教えるのは好きではありません。
何故なら「やり方」は変化するし、人によって効率の良い方法も違うから。

カオルPは30歳手前で、それまでの会社を辞めて出版業界に転身しました。
転職にあたりデザインを習いに行きました。
社会人向けのスクールで、短期間で学べるよう組み立てられた講座内容。
「考え方」を中心に組み立ててくれた講座は、講師の先生のおかげかと思います。

思えば、
大事なことは「やり方」や「技術」ではなく「考え方」や「本質」なのだと、この時に学びました。
本を読めば分かることは自分で読めばいい。あとで調べられることは自分で調べたらいい。
「先生の生の言葉」を聞くことが楽しかったです。そこでしか聞けないことです。

先生は、デザイナーになりたいのなら、

  • いつもデザインの事を考えてるくらいでなければダメだ。
  • 街中のデザインが、どうしてそういうレイアウトになっているか考えるくせをつけろ。
  • よく見ていると作った人の年齢やスキルも分かる。
  • 考え方が身についていれば転職できるし、大丈夫。

そんなことをおっしゃっていたのを今でも何となく覚えています。
実際、私のようにこの年でその業界に行くなんて、甘ちゃんすぎます。
学生時代からデザインに向き合ってて、頭が柔軟な若い人には敵いませんから。

だからこそ「習えるものは習わないと!」と思ったというのはあったと思います。
今思えば上手く転職できたと思うのですが、この先生に食らいついていたのが良かったんだろうなあ。
何となく受講していた方は、どんどん来なくなりましたし。

時代が変わると方法が変わる、古くなる

この時代、印刷の入稿は「版下」という方法がまだ少し残っていました。
先生はいわば版下時代ですが、このあと一気にDTP(パソコンでデザインから印刷まで)になります。版下の時は色指定もトリミング指定も全てアナログ。紙に赤ペンで指示を入れるわけです。
写真の入れ方にしたってそう。この範囲を使ってね!文字組みはこう!といった指示をする。
そういうやり方や知識は講座内では皆無です。こんな風にやっているといった程度。

それを知りたかったら現場で覚えていけば良いという話なのかもしれませんが、
その部分、今となっては全く不要なんですよ!全部、アプリ内で出来ちゃうんだから。

「人に伝わるデザインの設計図を頭で描けるかどうかが大事」
という事を教えてもらえました。

その後、転職した先の先輩デザイナーも先生と似た考え方の人でした。
「「技術」は後からついてくる」とよく言っていました。
目的がわかっていて、モチベーションがあれば「技術ややり方なんて後からすぐに追いつくよ」と。

写真の整理で大切なのは「やり方」ではないという話

カオルPは写真整理協会で顧問をしています。
写真整理協会では主に、古いアルバムの整理、終活に向けての整理において、
写真のデジタル化を提案しています。

ここで厄介な点があります。
それはデジタル化というと、それだけで結構な知識を問われてしまうこと。
そして「思い出」が写った写真を整理するのは、機械的に整理すれば良いというわけではないこと。

カオルPは「やり方」は変化していくものだということを身を持って知っています。
特にデジタルの進歩が速い今の時代、その変化は著しい。

デジタルの進歩だけでの話ではありません。
「やり方」は人により向き不向きがあるのです。

少し話がそれるかもしれませんが、
我が子は学校の宿題を指示通りやるのが大変でした。
音読はここからここまで何回。漢字の書き取りはこういう内容で1ページと指示されます。
しかし何故かマイルールが発動してこだわりが出ます。すると、いつまでたっても終わらないのです。
音読で大事なのは何か、漢字の書き取りで大事なのは何か。
我が家では先生と相談してアプローチを変えました。
音読は何を読んでもよし、漢字の書き取りはページではなく時間で区切る。
結果何の問題もありません。むしろ得意なくらい。

話を戻しますね。
写真のデジタル化を協会で提案はしているけれど、カオルPはあまりそこに固執していません。

デジタル化が良い理由は大きく1つ。
それはデータはかさばらないから!

アルバムは重くかさばる、だから写真を見ない。見るのが億劫。
問題はそっちなのです。重いとかかさばるではなく、見ないのが問題。

「写真を身軽にすれば見やすくなるのです」。

この理由だけ見たら、デジタル化は必須ではないでしょう?
必要な写真だけ残して見やすくファイリングするなり、箱に入れるなりすれば良いだけのことです。

「考え方」がブレない方が大事。
でもみんなが求めるのは「やり方」なので、皮肉にもそういう需要が多いのは残念です。
ですが、やっぱり「やり方」より「考え方」をお伝えしたい。
そうしたら、自分なりの答えを自分で見つけられるんじゃない?
自分で考える、自分で答えを持つ。それがいい。

「やり方」は実際には大事です。
先人の知恵みたいなところですからね。言ってみれば「基本」ってやつかも。

そういえば、幕末に「オランダ語」を懸命に学んだのにもはや「英語の時代」になっていて
がっかりもしながら、英語も学んだ志士がいましたよね(誰だっけ?)。
学びのために語学が必要だったのですね。