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「紙と石以外のメディアはすべて絶滅する」絶滅メディア博物館で写真整理アドバイザーが思うこと

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写真整理協会理事の西塔カオル(さいとうかおる)です。

「紙と石以外のメディアはすべて絶滅する」
そのコピーがとても印象的な博物館があります。

絶滅メディア博物館」。

最後に残るのは紙と石。

ああ、そうか。そうだよね。分かるひとには分かる言葉だと思います。
写真を残す、形にするということに、ながらく関わってきたカオルPの視点で紹介したいと思います。

東日本大震災で集められた写真達

写真をプリントする価値のお話をする時に、
東日本大震災で津波の被害を受けた思い出の品「写真」のことは外せません。
失って後悔したものとしてもトップクラスに入ります。
あの時、写真がプリントされていたから救済することができた。

FUJIFILM写真救済プロジェクトサイトより

さまざまな震災拾得物がある中で写真は特別でした。
拾い、集め、持ち主に返すという活動が行われていました。
写真ってさまざまな形で存在しますが、それがハードディスクやSDカード、USBメモリーであったらこんなことにはつながらないし、そもそも拾われることもないでしょう。
このエピソードに触れるたびに「紙」の普遍性を感じます。

「夜と霧」のヴィクトール・フランクルと石

紙は分かるのですが石って・・・?
ちょっとそう思ったのですが、昔は紙でなく石に文字を刻んでいた!
それは残るのだという話です。

たまたま聴いていたラジオでヴィクトール・フランクルの「夜と霧」という本を知りました。強制収容所という人間扱いされないようなところで生き抜いた人に共通していたのはユーモアだったといいます。生きる力って最終的にはそこなのかとハッとして書名をメモしました。
この本はユダヤ人精神分析学者がみずからのナチス強制収容所体験をつづった本です。


ユダヤ人迫害が始まった頃。アメリカへの亡命を申請した医者である著者はビザの申請が降りた自分だけ行くべきなのか、両親と離れて良いのかすごく悩んだそうです。
そうすることは即両親が収容所送りになることだから。
そんな時父が拾ってきた石に意味を見出すことになります。

あるとき家に帰ったらラジオが置いてある。その台の上に小さな石が置いてあった。きのうまでは無かったものだから、お父さんに「どうしたのこれ?」ってきいたら、「この間、襲撃に遭って、ナチの党員に全部破壊されたシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝の場所)の天井から落ちて来た石の1つ。記念に拾って来たんだよ」と。見ると、そこに文字の一部があって。フランクルが「これ、何の文字だ?」って聞くと、お父さんが、「この文字は“モーゼの十戒”の中のひとつにしか入っていない文字。「これは、なんじの父と母を敬え」という。

NHK『夜と霧』の著者の人生と思想から探る(1)「日曜生まれの子」その光と影 後編


そこで、アメリカには亡命しないという決断に至るわけです。

もちろんその石に書かれた文字が後のフランクルに影響を及ぼすなど分かりません。
悩んでいることへの答えとしてフランクルがどう受け止めるかというのもあるわけですが、「石」という普遍的なものだからこそ、後世に伝えることができた。

100年先に向けて写真を残す?

現代はスマホのおかげで全人類がカメラマンといっても大げさではないでしょう。
写真は万人が持てるもの、昔のように特別なシーンを残すだけでなく日常の写真はグッと増えています。枚数も膨大です。
特別な時に撮影して、お金をかけて現像とプリントをするという時代は終わり、
プリントするシーンも変わりました。
今は飾ったり誰かにプレゼントしたり、時には自分のコレクションのためにプリントする(形にする)となっているんじゃないでしょうか。
一方で、終活やお片付けブームでアルバムを沢山残されても困るしね・・・といったムードもあります。
データのままでもシェアや共有はできるし、スマホをひらけば画像を確認することは簡単。プリントしなくても困りません。

だけど、もしかすると100年先、200年先。
その時残っているアルバム、プリントされた写真っていうのは、そもそも絶対数が少ないんじゃないかなと思います。
それってすごい価値になると思うんですよ

でも、自分の何世代か先、例えば自分に孫ができて、ひ孫にも恵まれたとします。
そこに私の写真があったとしても、何かしらのメッセージ性がなければひ孫には「ふーん」で終わると思います。

でもデータは残らない。
「最後に残るのは紙と石」。

といって「100年先の子孫のために、家族や子育ての記録を残しましょう!」
なんていう話に結びつけるのは
ちょっと説得力がない気がするので、そうは言わないんですけどね。
だってそう言われてもアルバム作るモチベーションは上がらないよね?

100年先200年先、アルバムは骨董品みたいになっていて、
全然知らない誰かが見たりする。
それは面白いことなのかもしれないけど、ちょっと嫌な気もする。
でももうその時には自分はいないわけで。

だから今言えるのは
単純に写真見てると楽しいし、コミュニケーションが豊かになるから
そのツールとしてはデータより紙の方がパワフルだよ!そんな感じです。

写真が残っていたことで何か未来が変わる。そういうことは多いにあり得そうです。

絶滅メディア博物館の話から
だいぶ飛躍した気がしますが、こちらの博物館はガラケーやコンデジなどの懐かしい品の他
珍しいカメラ、ビデオカメラがたくさん。
楽しい館長のお話もおすすめです。一気に時代の流れを感じることができる場所なので
気になる方はぜひ足を運んでみて下さい。


絶滅メディア博物館